『嫁と姑との会話に正解はあるのか』ヒナ子とたかこの事例より

3月になると思い出す、義母とのこと。

私の誕生日は、3月3日。雛祭りの日。

義母の名前は

「ヒナ子」

12月生まれだけど、

「ヒナ子」

お嫁さんの誕生日が雛祭りの日なんて
縁やわーと、私の誕生日を喜んでくれた。

=====

そんなヒナ子さんと、コーヒーを飲みながら話をしていた時のひとコマ。

ヒナ子「私、自伝を書こうと思うの」

たかこ「……(えっ、自伝? 何で? 誰が読むの?)」

たかこ「えっ、誰が読むんですか?」

当時の私は若かった。
心の声が、そのまま音声に乗ってしまった。
丁寧語で。

ヒナ子「……」

ヒナ子「たかこさん、私の生まれ育った土地では(大阪府高槻市です)
口が過ぎると、口の端にあくちが出来るって言われてるの。
あ、たかこさんのことじゃないよ」

と、熱いコーヒーは傷にしみて痛いから、
フーフー冷ましながら飲んでいた私の口元を見ながらニヤリ。

またある時の会話

ヒナ子「最近夜眠れないの」

たかこ「それは辛いですね」

ヒナ子「昼間はぐっすり寝れるんやけどね」

たかこ「……(昼寝してるんかーい)」

たかこ「昼は眠れて良かったですね」

学習しました。

以上の出来事をマナーの観点から考察します。

① もともと目上の方に対して失礼な言葉は、
いくら丁寧語に言い直しても失礼であることに変わりはない。

 例)

・マジか

→マジっすか

→マジですか

→マジでございますか

→「マジ」の後を丁寧語にしても、目上の方に対しての失礼さに変わりはない。
しかし、気持ちはわかる。多分伝わる。


・上の話で言うと

誰が読むの?→誰が読むんですか?

丁寧語にしても、内容が失礼。

ではこの場合、どのような言い方が適切だったのか。

嫁、姑の会話としての考察。

パターン1

姑「私、自伝を書こうと思うの」

嫁「まぁ、お母さま、それは素晴らしいことですわ!仕上がりが楽しみです」

パターン2

姑「私、自伝を書こうと思うの」

嫁「あ、そうなんですか。頑張ってください」

パターン3

姑「私、自伝を書こうと思うの」

嫁「わぁ、自伝ですか。読んでみたいです。可愛い嫁のことも書いてくださいね」

番外編1

姑「私、自伝を書こうと思うの」

嫁「えっ、誰が読むんですか?」

姑「            」

番外編2

姑「最近夜眠れないの」

嫁「それは辛いですね」

姑「昼間はぐっすり寝れるんやけどね」

嫁「               」

この後に続く会話を「姑」「嫁」の気持ちになって
自由に考えてみてくださいね。

② 人と人とのコミュニケーションにおいて、
これが絶対に正解というものはないと、私は思う。

たとえ文法的に正しくても、敬語が完璧でも、

大切なことは言われた相手がどう感じるか。

きれいな言葉遣いととる人もいれば、
完璧な敬語に相手との距離を感じる人もいるかもしれない。

同じ言葉でも相手によって感じ方は違う。

一方で、お互いの関係性によって、
同じ内容を伝えるのでも、使う言葉は違ってくる。

例)マヨネーズ編

・普段の会話

妻「あ、ごめん、ちょっとマヨネーズ取ってくれる?」

夫「ほい」

妻「ありがとう(にっこり)」

・ケンカしているとき

妻「すみません。マヨネーズ取っていただけますか(真顔)」

夫「はい…」

妻「どうもありがとうございます!(真顔でキッパリ)」

(金森家の場合)

【プンプン怒って帰ってきた義母 Part2】

いつもブログをお読みくださり、ありがとうございます。

義母とのエピソードに大きな反響をいただき、驚いています。

義母の逸話は山ほどあります。

今日はその中から、クスッと笑えるお話を。

友だちとの食事に嬉しそうに出かけて行った義母が、プンプン怒りながら帰ってきた。

「たかこさん、聞いて。田中さん(仮名)がたかこさんの悪口を言うの。
もう腹が立って腹が立って。途中で帰ってきた!」

「?」

田中さんて誰?

私は田中さんに会ったこともないし、話したこともない。
何か知らないうちに迷惑でもかけたんだろうか。

プンプン怒っている義母から話を聞いた。

=======

義母は私のことを、田中さんに話していたという。

義母はただ話していただけ。
でも、田中さんには、それが私に対する愚痴に聞こえたのかもしれない。
義母の話にあいづちを打ち、更に義母を喜ばせようと、
ついうっかり私のことを悪く言ってしまったようだ。

で、義母は、なんであんたにたかこさんの悪口言われなあかんの!

となって、怒って帰ってきたのだ。

田中さん、冤罪!

なんとなくわかるような気がする。

人には悪口に聞こえても、義母にはそんなつもりはなく、
ただ思ったことを口にしただけ。

たとえ悪口であったとしても、自分が言うのはいいけれど、
他人が言うと腹が立つのだろう。

義母といると、ムカッとすることも多々あったけれど、
嫌いになりきれなかったのは、こんなことがたまにあって、笑ってしまうから。
多分、真剣に腹を立てるのがアホらしくなってくるからかもしれない。

それに、私も義母に言われっぱなしではなく、言いたいことは言っていた。

母に言われたことがある。

「お姑さんと口喧嘩して、勝ったところで誰もほめてくれへんよ。黙っとき」

ちなみに、義母の衝撃発言を初めて聞いたのは、結婚前、家に遊びに行った時のこと。

「どうしてたかこさんは背が低いの?」

私の身長は151cm。確かに小柄だ。
でも、義母は145cm。私より更に小さい。

「私は食糧難の時代に育ったから小さくても仕方ないけど、
たかこさんはどうして背が低いの?」

知らんがな。

以上の出来事を、人付き合いの観点から考察します。

1、人の悪口に便乗したら、痛い目をみる。

2、ふだん変なことをしている人がたまに良いことをしたら、それだけで評価がぐっと上がることがある。

→不良少年がお婆さんに席を譲ったら、あの子はほんとは良い子なんだ的な感じ。

 

3、質問は、人を怒らせる威力を持っている。

【嫁の実家に行きたがる姑と嫁との攻防戦】

嫁の実家に行きたがる姑と、それを阻止する嫁との攻防戦 

前編は、こちらです。

joyfulmanner-kanamori.hatenablog.com

 

義母は私より、私の大阪の実家へ行くことを楽しみにしているように見えた。

だからと言って、ただおとなしくついてくるわけではない。
プンプン怒りながら、実家での出来事を私に報告してくることもある。

「たかこさんがいつまでも起きてこないから
『そろそろ起こした方がいいんじゃないですか』
ってお父さんに言ったら、
『たまに実家に帰ってきたときくらいゆっくり寝かせてやりたいから、
起こさなくてもいいですよ』
って言うねんよ。
まるで私が家で寝させてないみたいやん。
どう思う?」

って聞かれても、寝てたのは私だ。

 

ちょいちょい、こんなとぼけたことを言いながらも、

「大阪が好き」

と言ってくっついてくる義母。

めんどくさくなってきた私は、
なんとか義母を実家に連れて行かなくてすむ作戦を考えた。

それは、いたってオーソドックスな、
準備する時間を与えない、行く直前に伝える作戦。

いつもは、行く日が決まったら

「○日に行きます」

と、事前に伝えていた。

それを行く直前、当日の朝ではあんまりなので、
行く前日の夜、義母が寝るために2階に上がってきたタイミングで伝えてみた。

翌日、義母は予定があったようで、その時は一緒に行けなかった。

========

夫と私と息子の3人だけで実家に行き、母がいれてくれたお茶を飲んでいたら、

「お義母さんから電話があったよ」

と、母が話し始めた。

「私も一緒に大阪に行って、お父さんとお母さんに会いたんですが、
たかこさんが、一緒に行こうと誘ってくれないんです。
だから、行きたくても行けない。
私もお父さんとお母さんと、お話がしたいのに」

みたいなことを切々と訴えたらしい。

母は続けた。

「こんなに来たがってはるんやから、連れてきてあげたら。
年に数回のことやし。
あんなところ行きたくないって嫌われるより良いよ。
それに、いつかは行きたくても体がついてこなくなる時がくるから。
本人がもう十分と思うまで連れてきてあげ。
たかこはまた別の日に、ひとりで帰ってきて、
その時にゆっくりしたらいいんやから」

なんか私は、自分がとても小さな人間のように思えてきた。

幼稚なことをして、義母を連れてこなかったことに対する罪悪感も感じていた。

一方で、ただ私は年に数回、夫と息子と3人で実家に行きたいだけ。
それがそんなにおかしなことなんだろうか。
いろんな思いが、頭の中をぐるぐるまわる。


迎える側の母の立場からすれば、娘夫婦と孫、
オマケに義母まで付いてくるんだから、
それは大変なことだと思う。

それでも連れてきてあげたらと言ってくれている。

多分これは私のため。
嫁としての私の立場を考えてくれてのことだろう。

もう、ごちゃごちゃ考えるのは止めにして、これからは義母を誘って一緒に来よう。もういいよと言うまで、義母を実家に連れて行こう。

私は、たまにひとりで実家に行って思いっきり昼寝する。

そう決めた。

 

以上の出来事を、今回は「行き詰まった時には、視点を変えてみる」
という観点から考察してみます。

1、世の中には、どうしても理解できない人はいる。
そんな時は無理に理解しようとせず、
あの人はあんな人なんだと割り切る方が楽な時もある、
と私は思う。

2、正攻法が無理なら、周りから攻めていく作戦もあり。

ポイントは、キーマンを見極めること。

3、正論が必ずしも通用するわけではない、
ということを知っておく。

 

 

【「たかこさんと結婚させてください」そう言って父に頭を下げたのは義母だった】

たかこさんと結婚させてください。

そう言って父に頭を下げたのは義母だった。

 

父は大阪の下町で小さな会社を経営するワンマン社長。昔流行ったテレビドラマ、寺内貫太郎によく似た、迫力のある人だ。

 

この結婚には父も母も反対だった。

理由は彼がバツイチだから。

 

離婚の経緯は、彼ではなく彼の母親から身振り手振り付きで詳しく聞いていた。

学生時代から付き合っていた彼女と結婚したのは20代の頃。ある日彼が長期出張から戻ってきたら、冷蔵庫以外の家財道具と一緒に、彼女は消えていたらしい。マンガみたい。

 

これまでにニ度、彼は結婚の挨拶に来ているが、父の迫力に負けたのか結局何も言えず、ご飯だけ食べて帰って行った。

 

そして3回目、義母は愛犬ヨークシャーテリアピカソと彼を引き連れて、颯爽と我が家にやってきた。

 

「もう、さとしに任せていたら話が前に進まないので私が来ました。

たかこさんと結婚させてやってください。

さとしは、優しい子です。

……

たかこさんを悲しませるようなことはしません。

安心してください。ピカソは働きものです。…」

 

途中から、さとしがピカソに変わっていたが、義母のプレゼンは続いた。

 

義母の迫力にやられたのか、父は私とピカソとの結婚を承諾してしまった。

 

義母はユニークな人だった。

このユニークさは、結婚後もいかんなく発揮された。

 

一番困ったのは、私の実家へ行きたがったこと。

義母とは二世帯住宅の上と下に住んでいた。義母の生活スペースは1階。でも、義母の寝室は2階にあるため、私たちは毎朝毎晩顔を合わせている。

それなのに、私たちがゴールデンウィークやお盆に、私の実家へ行こうとするとついてくる。

大阪の実家に行く準備をして車に乗ろうとすると、すでに助手席に座って待っているのだ。

 

「たかこさんの大阪の実家、好きやねん。

お父さんもお母さんも弟さんもお嫁さんも、みんな面白いから」

 

つづく

 

以上の出来事を、マナーの観点から考察します。

 

1、言いにくいことこそ、先に言ってしまおう。

特に結婚の挨拶など、人生における大切なタイミングを人任せにしてはいけない。

でないと、何かあるごとに、一生言われ続けてしまう可能性がある。

 

2、人の名前は間違えないようにしましょう。

 

3、熱いパッションは人を動かす。

 

今日はこのへんで。

 

一浪して東大理一に入った息子が、浪人時代にしていたこと

絵本の読み聞かせの記事への反響が思いのほか大きく、
驚きとともに、多くの方にお読みいただきましたことに、
心より感謝申し上げます。

今日は、はた迷惑な絵本の読み聞かせからちゃっちゃと卒業していった息子のその後。

受験シーズンになると思い出す、大学入試についての話を書きました。


「一浪して東大理一に合格した息子が、浪人時代にしていたこと」

 

 

―――――― 

高校時代の息子は、バスケとドラムとダンスに夢中だった。

バスケ部の活動をしながら、
軽音楽同好会にも入り、バンドではドラムを担当していた。

音楽のジャンルはデスメタルとかいうもので、
何かよくわからない曲に合わせて、
お面をかぶって頭をブンブン振りながらドラムを叩いていた。
むち打ちになるんじゃないかと心配になるくらい、頭をブンブン振っていた。

それだけでは足りなかったのか、
大道芸同好会なるものを新たに作り、
そこではダンスやジャグリングなどを練習していた。

ダンスはブレイクダンス
逆立ちして、頭を床につけてクルクル回っているあれ。
体中アザだらけになりながら練習していた。

そんな高校生活を送っていた息子が、
高校3年の秋、急に東大へ行くと言いだした。

理由は、自分が研究したいと思っている分野を学ぶためには、全てにおいて東大が一番充実しているからというもの。

地元京都には大学がたくさんある。
私はてっきり京都の大学に進学するものと思っていたので驚いた。

秋から本格的に勉強を始めたものの、1年目は不合格。

浪人が決まった時、

「高校時代にやりたいことはみんなやった。やってないのは勉強だけ。だから今度は勉強する」

と言って、予備校には行かず、
自分で見つけてきた塾に通って、自分のペースで勉強を始めた。

見つけてきた塾は、先生が一人で自宅で開いている小さな塾。
宣伝もしていないし、看板も出ていない。
通っているのは近所の小、中、高校生。

息子はその塾で、小学生と机を並べて学んでいった。
毎日とても楽しそうに、一日中塾に入り浸っていた。

息子曰く

「俺は受験勉強をしているんじゃなくて、学問を学んでいる。だから楽しいねん」

何かよくわからないけど
わかったふりをしてふんふんと聞いていた。

模擬試験の結果は「N判定」

模擬試験の結果のプリントを見たとき、N判定とかM判定とか出ていてびっくりしたことがあった。

A,B,C,D,E判定あたりまではわかるけど、
N判定? M判定って何?っと思って聞いてみた。

返事はこうだった。

「受けてない科目があるから。
今勉強していて、これまでの勉強の成果を知りたい科目だけ受けた。
まだ勉強していない科目を受けても、結果は悪いことわかってるし、
わかってても悪い結果見たら落ち込んで、モチベーション下がって、やる気なくなるから、今自分が結果を知りたい科目だけしか受けてない」

正直、すごいと思った。

模擬試験は全科目を受けるもの、
何の疑いもなく、私はそれが普通だと思っていたから。

「普通を疑え!」

なんて、本のタイトルにありそうだけど、
自分の普通と自分以外の人の普通は違う。

自分で考え、自分で選び取るってこういうことなんだなと、
息子を見ていて感じた。

 

自分の機嫌は自分でとる。

モチベーションが下がったり、やる気をなくすようなものには近づかない。

受験生だけでなく、すべての人にとって大切なことだと私は思う。

淡路島にライブを見に行ったり、旅行に行ったり、
気分転換をしながら1年を過ごし、
息子は東大の理科一類に合格した。

大学に入って初めて連絡してきた息子が私に言ったこと。

「クラスのガイダンスの時の自己紹介で、冗談で、『母親はブラジル人です』って言ったら、誰も突っ込んでくれなくて、ほんまに母親はブラジル人って思われてるねん。だから、東京に来るときはブラジル人になってな」

息子は顔が濃い。

 

【絵本の読み聞かせ】こうして息子は、読み聞かせから卒業していった

かなり迷惑な、絵本の読み聞かせスタート!

アナウンサーをしていた20代の頃、
将来子どもが生まれたら
夜寝る前に絵本の読み聞かせをしたいとずっと思っていた。

 

登場人物ごとに声を変えて、
まるでラジオドラマのように情感たっぷりに読み上げたら
きっと喜んでくれるだろうな。

 

 いつかくるかもしれない、そんな情景を想像するだけで
幸せな気持ちになった。

 

 その後結婚して、息子が生まれた。
楽しみにしていた読み聞かせの時間がやってきた。

 

 赤ちゃんの頃は、
声を使い分けて登場人物になりきって絵本を読むと
目を丸くして、手をたたいて喜んでくれた。

 私は息子の反応が嬉しくて
せがまれるまま、読み聞かせを続けた。

 

しかし、幼稚園に通うようになると、何となく反応が変わってきた。

 

 寝る前、ベッドに並んで張り切って絵本を読んでいたら

 「普通に読んで」

 と、言われるようになった。

 しばらくはおとなしく読んではみるものの
何となく物足りなくなってきて
少しずつ読み方を変えていくと、すかさず

 「普通に読んで」

と声がかかる。

 

仕方がないので、登場人物の声は変えず
セリフや会話以外の地の文を、
ナレーション風に読んでみた。

 日本昔話の市原悦子さん風に読んでみたらけっこうウケたので、
調子に乗って、黒柳徹子さん風に読んでみたら

 「うるさいからやめて」

 と言われた。

 それならばと声は変えず、地声のままで
NHK大河ドラマのナレーション風に読んでみた。

 自分ではなかなかイケてると思っていたのに、結果は

 「気持ち悪い」

 だった。これはけっこうへこんだ。

 

こんなことを続けていたら、

 「自分で読むからもういい」

 と言われ、息子は早々に読み聞かせから卒業していった。

 

冷静に考えて、
ラジオドラマや大河ドラマのナレーションは
テレビやラジオ、また、マイクを通して聞くからちょうど良いのであって、
あんな感じの読み聞かせを毎晩横でやられたら
それはたまったものじゃなかったと思う。

 

ほんと、息子よ、申し訳なかった。
ただ、母はとっても楽しませてもらいましたよ。

 

この出来事を、マナーの観点から考察してみます

 

1、マナーは相手への優しさ

→この読み聞かせは、息子に優しくなかった。

 

2、マナーは相手の立場に立って考え、行動すること。

→全然考えてなかった。

 

反省しています。

 

この絵本の読み聞かせが良かったのか悪かったのか

息子は読書が大好きな人間に成長しました。

【OLからアナウンサーへ転身】夢を叶えるためにしたこと(後編)

OLからアナウンサーへ転身 (後編)

前編はこちらからどうぞ

joyfulmanner-kanamori.hatenablog.com

 

 

先輩の連絡先が書かれたメモを宝石箱にしまった翌日から、
私はアナウンサーになる方法を考えた。

新卒ではないし、マスコミ関係に知り合いもいない。
アナウンサーになる方法は自分で見つけるしかない。
まずはアナウンサーになるための学校探しから始めた。

昼間は会社に行っているから夜に学べる学校。
たまたま見つけたチラシにあった学校が、
ちょうど条件にぴったり合った。

月曜日から金曜日までの週5日
夕方6時から9時までのレッスン
一年で卒業出来る。

すぐに申し込んだ。
なんだか良くわからないまま入学試験を受けて、
良くわからないまま合格した。

学校は決まった。
次は会社をどうするかだ。

勤めていた会社は、当時、人事部と秘書室の女性社員が退職する場合、辞める時期は3月末という暗黙の了解があった。

私がいた人事部では、毎年三月に上司との面談があり、一年後も続けるか、一年後に辞めるかを聞かれる。
つまり、一年後の3月に辞めようと思ったら、辞める一年前の3月に申告しなければならない。

まだレッスンも始まっていない状況で、もちろん一年後に仕事があるなんて何の保証もないまま、私は一年後の3月末に退職する旨を伝えた。
迷いはなかった。

親には一番最後に伝えた。
ぽろっと、アナウンサーになりたいと言った時、
そんな夢みたいな事言ってないで、真面目に仕事しなさいと大反対されたから。

それから毎日、仕事の後に学校に通ってアナウンサーになるための訓練を受けた。

残業の時は遅刻や休むこともあったけど、出来る限り出席した。

発声、発音、滑舌をよくする練習、
司会、インタビュー、ナレーション、
ヘアメイク、写真の写り方など、今まで触れたこともない世界の勉強。
なぜかダンスの授業もあった。
毎日が楽しくて仕方なかった。

レッスンも後半にさしかかると、実際のCM制作現場の第一線で活躍している現役CMプランナーを講師に迎えての授業があった。

テレビで放映されているCM原稿を渡されて、
ナレーションを入れたりした。
きっと仕事の現場ってこんな感じなんだろうなと、
実際にブースに入って仕事をしている自分を想像した。

余談だが、講師としてやってきたCMプランナーの一人が、
後に私の夫となる人。
一年後、仕事の現場で再会した。

卒業間近になると、残っている生徒の数は、入学時の半数くらいになっていた。
そしてその頃から、仕事を得るためのオーディションが始まった。

オーディションは
1分間の自己PR
朝起きてからオーディション会場に来るまでにあったことのレポート
ニュース原稿を初見で読む
フリートーク
カメラテストなど、番組によってさまざま。

局アナではなく、事務所所属のアナウンサーなので、仕事を得るためには、まずはこのオーディションに通らなければならない。

その前に、誰がどの番組のオーディションを受けるかは、
先生やマネージャーが決める。

オーディションを受ける前から、もうオーディションは始まっていた。

幸い私は、4月第一週から始まるラジオの昼の歌番組のパーソナリティに決まった。
他には、テレビ局の契約アナウンサー。
単発で、司会やナレーション。
ほぼ休みなく働いた。

2年目は、朝のラジオ番組。
別のテレビ局の契約アナウンサー。
高校野球の時期は、夜にその日の高校野球のハイライトを放送する番組のアシスタントもした。

忙しかったけれど、毎日が充実していた。

勢いで辞めた会社。
勢いで始めたアナウンサー。

何が正解かなんてわからないし
そもそも正解なんてあるのだろうか。

オーディションにはいっぱい落ちたし
失敗もいっぱいした。

でもそれ以上に楽しいこともいっぱいあった。
落ち込んでいるヒマなんてなかった。


この時の経験が、確実に今の私を作っている。

自分がしたいと思ったことはする。

これからも、挑戦は続けていきたい。

そして今、挑戦する人を全力で応援する人でもありたいと、強く思っている。