【OLからアナウンサーへ転身】夢を叶えるためにしたこと(後編)

OLからアナウンサーへ転身 (後編)

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先輩の連絡先が書かれたメモを宝石箱にしまった翌日から、
私はアナウンサーになる方法を考えた。

新卒ではないし、マスコミ関係に知り合いもいない。
アナウンサーになる方法は自分で見つけるしかない。
まずはアナウンサーになるための学校探しから始めた。

昼間は会社に行っているから夜に学べる学校。
たまたま見つけたチラシにあった学校が、
ちょうど条件にぴったり合った。

月曜日から金曜日までの週5日
夕方6時から9時までのレッスン
一年で卒業出来る。

すぐに申し込んだ。
なんだか良くわからないまま入学試験を受けて、
良くわからないまま合格した。

学校は決まった。
次は会社をどうするかだ。

勤めていた会社は、当時、人事部と秘書室の女性社員が退職する場合、辞める時期は3月末という暗黙の了解があった。

私がいた人事部では、毎年三月に上司との面談があり、一年後も続けるか、一年後に辞めるかを聞かれる。
つまり、一年後の3月に辞めようと思ったら、辞める一年前の3月に申告しなければならない。

まだレッスンも始まっていない状況で、もちろん一年後に仕事があるなんて何の保証もないまま、私は一年後の3月末に退職する旨を伝えた。
迷いはなかった。

親には一番最後に伝えた。
ぽろっと、アナウンサーになりたいと言った時、
そんな夢みたいな事言ってないで、真面目に仕事しなさいと大反対されたから。

それから毎日、仕事の後に学校に通ってアナウンサーになるための訓練を受けた。

残業の時は遅刻や休むこともあったけど、出来る限り出席した。

発声、発音、滑舌をよくする練習、
司会、インタビュー、ナレーション、
ヘアメイク、写真の写り方など、今まで触れたこともない世界の勉強。
なぜかダンスの授業もあった。
毎日が楽しくて仕方なかった。

レッスンも後半にさしかかると、実際のCM制作現場の第一線で活躍している現役CMプランナーを講師に迎えての授業があった。

テレビで放映されているCM原稿を渡されて、
ナレーションを入れたりした。
きっと仕事の現場ってこんな感じなんだろうなと、
実際にブースに入って仕事をしている自分を想像した。

余談だが、講師としてやってきたCMプランナーの一人が、
後に私の夫となる人。
一年後、仕事の現場で再会した。

卒業間近になると、残っている生徒の数は、入学時の半数くらいになっていた。
そしてその頃から、仕事を得るためのオーディションが始まった。

オーディションは
1分間の自己PR
朝起きてからオーディション会場に来るまでにあったことのレポート
ニュース原稿を初見で読む
フリートーク
カメラテストなど、番組によってさまざま。

局アナではなく、事務所所属のアナウンサーなので、仕事を得るためには、まずはこのオーディションに通らなければならない。

その前に、誰がどの番組のオーディションを受けるかは、
先生やマネージャーが決める。

オーディションを受ける前から、もうオーディションは始まっていた。

幸い私は、4月第一週から始まるラジオの昼の歌番組のパーソナリティに決まった。
他には、テレビ局の契約アナウンサー。
単発で、司会やナレーション。
ほぼ休みなく働いた。

2年目は、朝のラジオ番組。
別のテレビ局の契約アナウンサー。
高校野球の時期は、夜にその日の高校野球のハイライトを放送する番組のアシスタントもした。

忙しかったけれど、毎日が充実していた。

勢いで辞めた会社。
勢いで始めたアナウンサー。

何が正解かなんてわからないし
そもそも正解なんてあるのだろうか。

オーディションにはいっぱい落ちたし
失敗もいっぱいした。

でもそれ以上に楽しいこともいっぱいあった。
落ち込んでいるヒマなんてなかった。


この時の経験が、確実に今の私を作っている。

自分がしたいと思ったことはする。

これからも、挑戦は続けていきたい。

そして今、挑戦する人を全力で応援する人でもありたいと、強く思っている。